そして退院へ

懐かしい音…再び

“今回の一連の手術の流れ”では最後の転院となる・・・・はず。

最初に入院した病院では病室が個室、4人部屋もしくは6人部屋の選択となる。

そんな毎度毎度個室というわけにはいかないが、さすがに6人部屋は厳しいので私の選択肢は4人部屋の一択となるが、4人部屋はその病院に1部屋しかないので、毎回同じ部屋に入院することになった。

そしてここでは耳栓とイヤーマフが必須となる。

今回同室となる患者にもよるが、隣の6人部屋からは毎度毎度、なにやら叫ぶ声が聞こえる。

恐ろしいことに、私が入院生活を送ってきたこの4か月、毎度同じ人が叫び続けているような気がする。

以前聞いた話によると、この声の主、退院すると言い張って医師や看護師の静止を振り切って強引に退院していたらしいが、強制的に戻されたのだろう。

ここまでくると、この“声”すらなんとも懐かしい気がした。

が、それとストレスを感じるのとは別問題だ。

うるさいはうるさい訳で、イライラする。

耳栓+イヤーマフでも防げない音はあるのだ。

本格的なリハビリ開始

さて、何がどうあっても朝6時起床、その後採血や血圧測定、体重測定、昼12時昼食、夕方6時夕食、夜9時消灯。

これだけはどの病院でも変わらないのかもしれない。

そして本来の目的であるリハビリが始まったのだが、大学病院のそれとは違い、個別指導で何を目的としてリハビリをするのか融通が利くので助かる。

私の場合は

  1.  寝た状態から一人で起き上がれるようになる
  2.  ある程度歩いても平気なようになる
  3.  5キロ程の荷物を持っても大丈夫なようになる

であったが、それに加え

  • 退院後の通院に備えてバス、地下鉄に乗っても平気なようになる

ということが加わる。

まずは1つ目。

これは起き上がるときは先ず足をベッドの下におろして左右どちらかを下にし、腕に力を入れて起き上がるというコツを教えてもらったおかげで初日にクリア。

次に2つ目。

これはさすがにすぐには無理だったがリハビリを重ねていく中で病院に許可をもらって外出し、ある程度は長距離を歩いても大丈夫であることが分かったのでクリアとなる。

そして3つ目。

最初のうちは両手で5キロ、次いで左の手に5キロ、右の手に5キロの合計10キロをもって歩いても大丈夫なようになったのでクリアとなる。

そして最後。

この条件についてはなかなか訓練できるものではなかったが、バランスの悪い足元で立ち続ける練習をする。

ついでに階段を2階分ほど上下してみたりした。

この結果、理学療法士の方の「もう退院して大丈夫です」との言葉をいただき、めでたく退院の日を迎えることとなる。

祝退院

退院の際には出来れば家族のお迎えがあるのがよいが、私の退院予定日は誰も都合がつかず、都合がつく日まで入院し続けるのもどうかと思ったので、一人でタクシーに乗って帰ることにした。

久しぶりのシャバの空気。

特段空気のいい場所に住んでいるということでもないが、病室の何ともいえない空気よりはよいと思う。

病室も換気されており、室温も一定に保たれていて快適な環境なはずで、決して空気が澱んでいるわけではないが、やはりどうしても病院特有の何とも言えないものがある。

ここで私の入院生活は一度目の幕引きとなる。

次はまた解離性大動脈瘤が大きくなったときに大学病院に入院することになるだろう。

しかしこれですべてが終わったわけではない。

むしろここからが始まり。

最初に入院した病院、大学病院、2つの病院への通院生活が幕を開けるのだ。

最後に今回お世話になった例の占い鑑定士、結局は彼女の鑑定のお陰なのかどうかはわからないが、“いい日”に手術をすることができ、声がかすれた以外はこれといった後遺症もなく無事退院をすることができた。

まさに“いい日”だったのだろう。

また、私は腎臓が悪いので腎臓に負担の大きい造影剤を使うCT検査をしたときもこちらは病院の決めた日程通りだったので偶然かもしれないが、結局は鑑定で“いい日”にやることになった。

彼女曰く「運がいい人は結局いい日にことをなす運命を選択できる人で、運が悪い人は占っても残念ながら”あること”が原因で良い運命を選択できない」そうだ。

ちなみに、彼女の名前は玲月一心(れいげつ・いっしん)という。

今日の教訓

騒音には耳栓+イヤーマフ

当たるも八卦、当たらぬも八卦

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